コラム
カンテの基礎知識

 
フラメンコの基礎知識 
(44)カンテの歴史と流行
<カンテ人気復活から現在まで>

2019年7月28日アップ

 
前回は、カンテ暗黒時代を経て、
カンテ人気が落ち込んでしまったというところまで、
お話ししたと思います。
 
私が最初の長期留学した1998年は、
まさにカンテ人気がどんどん落ちている最中でした。
 
それでも、まだ少しはテレビのフラメンコ番組も残っていましたし、
カンテコンサートもそれなりに行われていたと思います。
 
でも、このままでカンテは駄目になる、
アンダルシア政府やフラメンコ業界の人達は、
この時点でかなりはっきりとそう感じていて、
なにか策を講じようとしていたところだったんです。
 
私が入学したフラメンコ芸術学院は、そんな中、
まさにカンテ復活の為に作られたと言っても過言ではないでしょう。
 
発起人は、財団のオーナーでもあるクリスチーナ・ヘーレンと、
私のカンテの師匠でもあるフラメンコ歌手
ナランヒート・デ・トリアーナの2人。
 
この二人がタッグを組んだことで、実現した学校だったんです。
 
そこへそれぞれの人脈を駆使して様々な人たちを集め、
アンダルシア政府からの人的金銭的なサポートも得て
オープンしたのは1996年。
 
バイレ課、ギター課と開講し、
最後に満を持てカンテクラスが開講したのが1998年、
つまり私は第一期生でした。
 
カンテ課が始まって、生徒達はどんどん育って行ったんですが、
残念ながらカンテブームはその後もどんどん落ちて行き、
2003年頃には、テレビのフラメンコ番組は
ほぼすべてなくなってしまいました。
 
かろうじて、セビージャのローカルケーブル局のみで
細々と番組は続いたのですが、その番組もほどなくして、
ビエナルの特番だけの放送となってしまいます。
 
実は、この頃多くのフラメンコ歌手がフラメンコの世界を離れています。
特にヒターノ達は、他のジャンルに転向するのが早かったように思います。
 
もちろん、その理由は貧困と差別です。
 
ヒターノがなかなか就職できないのは、実は今もまだ変わってはいません。
ですから、一族からひとり有名なフラメンコ歌手が出れば、
カンテブームの間は家族みんなが生活できていたのに、
カンテ人気の下降とともに仕事が減ってしまえば、
もう家族を養えなくなってしまいます。
 
それで、稼げる他のジャンルの歌に鞍替えするフラメンコ歌手が
大勢でてしまいました。(その後のカンテ人気復活で、
現在はフラメンコに戻っている歌手もいます。)
 
でも、カンテ人気が落ちたことを、
ただみんなが黙って見ていたわけではありません。
 
ジャズなど他のジャンルの音楽とのコラボなども盛んに行われたんですが、
フラメンコ業界が一番考えたのは、バリエーション豊かなカンテの復活です。
 
カンテさえちゃんと聞いて貰えれば、人気は必ず復活する!
 
これは、当時のフラメンコ業界みんなの合言葉だったと思います。
 
それで、フラメンコ芸術学院では、多くのカンテの曲種を歌える生徒を育て、
忘れ去られていた様々な素晴らしいカンテを聞いてもらう
機会を増やすよう尽力しました。
 
また、マイテ・マルティンをはじめとした若者に人気のフラメンコ歌手は、
あえて忘れられていたカンテを集めたCDを発売したりして、
カンテ人気復活に大いに貢献しました。
 
フラメンコ芸術学院の卒業生たちが、大きなコンクールで次々に優勝し、
若い次世代のフラメンコ歌手達が懐かしいカンテを復活させ、
忘れられていたカンテがどんどん人前で歌われるようになって、
フラメンコ歌手は多くの曲種が歌えるほうが価値がある、
という昔の考えが復活。
 
それにともなって、ほんの10曲種くらいしかレパートリーがなかった
フラメンコ歌手達も、あわてて多くの曲種を学ぶようになりました。
 
その結果、ほとんどのカンテコンサートで、
多くの曲種のカンテがバリエーション豊かに歌われるようになったのは、
2010年ころだったでしょうか。
 
離れてしまっていたカンテファンも少しずつ戻ってきて、
同時に若いカンテファンも取り込むことに成功し、
2010年以降はカンテ人気が完全に復活したと言ってもいいでしょう。
 
ビダリータ、マリアーナ、ハベラ、などなどが
普通にカンテコンサートで聞けるなんて、
私は嬉しくって涙が出そうです。
2003年に亡くなってしまった師匠のナランヒートにも見せてあげたかった。
 
こうして、スペインのフラメンコ人気は、カンテが牽引する形で復活しました。
 
ただ、残念ながらスペインのバイレ人気は一時ほどではなくなり、
バイレの公演回数は以前とは比べ物にならないほど減ってしまっています。
 
それでも、フラメンコはカンテさえ元気なら、
いつまでも続くのでどうかご心配なく。
 
また時期が来れば、バイレ、ギターなどなど、様々なブームを迎えるでしょう。
 
 
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前回は、カンテ暗黒時代を経て、カンテ人気が落ち込んでしまったというところまで、お話ししたと思います。
 


 
私が最初の長期留学した1998年は、まさにカンテ人気がどんどん落ちている最中でした。
それでも、まだ少しはテレビのフラメンコ番組も残っていましたし、カンテコンサートもそれなりに行われていたと思います。
 


 
でも、このままでカンテは駄目になる、アンダルシア政府やフラメンコ業界の人達は、この時点でかなりはっきりとそう感じていて、なにか策を講じようとしていたところだったんです。
 


 
私が入学したフラメンコ芸術学院は、そんな中、まさにカンテ復活の為に作られたと言っても過言ではないでしょう。
 


 
発起人は、財団のオーナーでもあるクリスチーナ・ヘーレンと、私のカンテの師匠でもあるフラメンコ歌手ナランヒート・デ・トリアーナの2人。
 
この二人がタッグを組んだことで、実現した学校だったんです。
 


 
そこへそれぞれの人脈を駆使して様々な人たちを集め、アンダルシア政府からの人的金銭的なサポートも得てオープンしたのは1996年。
 
バイレ課、ギター課と開講し、最後に満を持てカンテクラスが開講したのが1998年、つまり私は第一期生でした。
 


 
カンテ課が始まって、生徒達はどんどん育って行ったんですが、残念ながらカンテブームはその後もどんどん落ちて行き、2003年頃には、テレビのフラメンコ番組はほぼすべてなくなってしまいました。
 


 
かろうじて、セビージャのローカルケーブル局のみで細々と番組は続いたのですが、その番組もほどなくして、ビエナルの特番だけの放送となってしまいます。
 


 
実は、この頃多くのフラメンコ歌手がフラメンコの世界を離れています。
 
特にヒターノ達は、他のジャンルに転向するのが早かったように思います。
 
もちろん、その理由は貧困と差別です。
 


 
ヒターノがなかなか就職できないのは、実は今もまだ変わってはいません。
 
ですから、一族からひとり有名なフラメンコ歌手が出れば、カンテブームの間は家族みんなが生活できていたのに、カンテ人気の下降とともに仕事が減ってしまえば、もう家族を養えなくなってしまいます。
 


 
それで、稼げる他のジャンルの歌に鞍替えするフラメンコ歌手が大勢でてしまいました。
(その後のカンテ人気復活で、現在はフラメンコに戻っている歌手もいます。)
 


 
でも、カンテ人気が落ちたことを、ただみんなが黙って見ていたわけではありません。
 
ジャズなど他のジャンルの音楽とのコラボなども盛んに行われたんですが、フラメンコ業界が一番考えたのは、バリエーション豊かなカンテの復活です。
 


 
カンテさえちゃんと聞いて貰えれば、人気は必ず復活する!
 
これは、当時のフラメンコ業界みんなの合言葉だったと思います。
 


 
それで、フラメンコ芸術学院では、多くのカンテの曲種を歌える生徒を育て、忘れ去られていた様々な素晴らしいカンテを聞いてもらう機会を増やすよう尽力しました。
 


 
また、マイテ・マルティンをはじめとした若者に人気のフラメンコ歌手は、あえて忘れられていたカンテを集めたCDを発売したりして、カンテ人気復活に大いに貢献しました。
 


 
フラメンコ芸術学院の卒業生たちが、大きなコンクールで次々に優勝し、若い次世代のフラメンコ歌手達が懐かしいカンテを復活させ、忘れられていたカンテがどんどん人前で歌われるようになって、フラメンコ歌手は多くの曲種が歌えるほうが価値がある、という昔の考えが復活。
 


 
それにともなって、ほんの10曲種くらいしかレパートリーがなかったフラメンコ歌手達も、あわてて多くの曲種を学ぶようになりました。
 


 
その結果、ほとんどのカンテコンサートで、多くの曲種のカンテがバリエーション豊かに歌われるようになったのは、2010年ころだったでしょうか。
 


 
離れてしまっていたカンテファンも少しずつ戻ってきて、同時に若いカンテファンも取り込むことに成功し、2010年以降はカンテ人気が完全に復活したと言ってもいいでしょう。
 


 
ビダリータ、マリアーナ、ハベラ、などなどが普通にカンテコンサートで聞けるなんて、私は嬉しくって涙が出そうです。
 
2003年に亡くなってしまった師匠のナランヒートにも見せてあげたかった。
 


 
こうして、スペインのフラメンコ人気は、カンテが牽引する形で復活しました。
 


 
ただ、残念ながらスペインのバイレ人気は一時ほどではなくなり、バイレの公演回数は以前とは比べ物にならないほど減ってしまっています。
 


 
それでも、フラメンコはカンテさえ元気なら、いつまでも続くのでどうかご心配なく。
 
また時期が来れば、バイレ、ギターなどなど、様々なブームを迎えるでしょう。
 
 
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