コラム
カンテの基礎知識
154回 カンテを学ぶということー16
前回はグアヒーラに使われるとても珍しい歌詞ディッシマをご紹介しました。
フラメンコの歌詞は、そのカンテのルーツとも関係があることに、
興味を持っていただけると嬉しいです。
今回で歌詞の形式は最終回にしようと思います。
ところで、今までに様々な曲種(パロ)用の歌詞の形式をご紹介しましたが、
ひとつ重要な曲種が出て来ていないことにお気づきでしょうか?
それは、、、シギリージャ!
実は、シギリージャに使われる歌詞も、他のカンテの歌詞とは全く違う、
特別な形式をもつ歌詞なんです。
どんな形式かと言うと・・・
では、形式を紹介する前に、師匠ナランヒートの作詞による
シギリージャの歌をひとつご紹介しましょう。
No me quedan mas fuerzas
pa seguir viviendo
por que mui grande Esta cuesta
yo estoy subiendo
これを歌う時の音節に区切ると
(No) (me) (que) (dan) (mas) (fuer) (zas)
(pa) (se) (guir) (vivi) (endo)
(por) (que) (mu) (gran) (de) (Es) (ta) (cues) (te) (si) (ta)
(yo) (es) (toy) (subi) (en) (do)
音節数は 上から 7-5-11-6 となっています。
(実際に歌う時はアンダルシア訛りが入るので、
その分少し歌詞が変わっています。)
これ、今までに全く見たことがない形式ですよね!
実は、シギリージャ用の歌詞にはいくつかの長さのパターンがあって、
<7-5-11-5>, <6-6-11-6>, <7-5-11-6>などが代表的な長さで、
こちらの歌詞もこの中の <7-5-11-6>の形式になっています。
(以上のような形式の歌詞を、まとめて-シギリージャ用の歌詞-と呼びます。)
ところで、以前こちらのコラムにも書いたように、スペイン語と言う言語は、
1行を8音節にするとおさまりがいいんです。
でも、シギリージャの歌詞は、
上の歌詞でご説明したように8音節ではないんですが、
どうしてだと思いますか?
グアヒーラの歌詞ディッシマのルーツが中南米にあったように、
実は、シギリージャの歌詞のルーツは、
イスラム系の言語にあると言われています。
スペインの南部アンダルシア地方は、
長くイスラム系の民族に支配されてきたので、
今でもスペイン語にはイスラム系の言語をルーツに持つ言葉が
多く残っているんですよ。
そして、そのイスラム系の言語で書かれた詩の多くが、
1行が11音節になっているんです。
歌詞の長さを見てもおわかりだと思いますが、
グアヒーラが中南米の音楽の影響を強く受けているように、
シギリージャも、他のフラメンコのカンテとは違うルーツを
持っているのではないかと考えられています。
ここまでの説明を読まれて、
シギリージャはヒターノがアンダルシアまで運んだのでは?
とお考えになった方もいらっしゃるかもしませんね。
でも、アンダルシア地方をイスラム系の王朝が支配していたのは、
ヒターノがアンダルシアに着く少し前の15世紀までなので、
ヒターノがこの歌詞の形式を運んだわけではなく、
15世紀ごろには、すでにこの形式がアンダルシアに定着していたと、
今では考えられています。
フラメンコの多くの歌詞が、どれかの曲種専用ではなく、
使用する歌詞の長さが同じであれば、曲種同士で使い回しが出来るのですが、
前回のグアヒーラのディッシマと、このシギリージャ用の歌詞は、
他の曲種と使い回しができない歌詞ということになります。
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前回はグアヒーラに使われるとても珍しい歌詞ディッシマをご紹介しました。
フラメンコの歌詞は、そのカンテのルーツとも関係があることに、興味を持っていただけると嬉しいです。
今回で歌詞の形式は最終回にしようと思います。
ところで、今までに様々な曲種(パロ)用の歌詞の形式をご紹介しましたが、ひとつ重要な曲種が出て来ていないことにお気づきでしょうか?
それは、、、シギリージャ!
実は、シギリージャに使われる歌詞も、他のカンテの歌詞とは全く違う、特別な形式をもつ歌詞なんです。
どんな形式かと言うと・・・
では、形式を紹介する前に、師匠ナランヒートの作詞によるシギリージャの歌をひとつご紹介しましょう。
No me quedan mas fuerzas
pa seguir viviendo
por que mui grande Esta cuesta
yo estoy subiendo
これを歌う時の音節に区切ると
(No) (me) (que) (dan) (mas) (fuer) (zas)
(pa) (se) (guir) (vivi) (endo)
(por) (que) (mu) (gran) (de) (Es) (ta) (cues) (te) (si) (ta)
(yo) (es) (toy) (subi) (en) (do)
音節数は 上から 7-5-11-6 となっています。
(実際に歌う時はアンダルシア訛りが入るので、その分少し歌詞が変わっています。)
これ、今までに全く見たことがない形式ですよね!
実は、シギリージャ用の歌詞にはいくつかの長さのパターンがあって、<7-5-11-5>, <6-6-11-6>, <7-5-11-6>などが代表的な長さで、こちらの歌詞もこの中の <7-5-11-6>の形式になっています。
(以上のような形式の歌詞を、まとめて-シギリージャ用の歌詞-と呼びます。)
ところで、以前こちらのコラムにも書いたように、スペイン語と言う言語は、1行を8音節にするとおさまりがいいんです。
でも、シギリージャの歌詞は、上の歌詞でご説明したように8音節ではないんですが、どうしてだと思いますか?
グアヒーラの歌詞ディッシマのルーツが中南米にあったように、実は、シギリージャの歌詞のルーツは、イスラム系の言語にあると言われています。
スペインの南部アンダルシア地方は、長くイスラム系の民族に支配されてきたので、今でもスペイン語にはイスラム系の言語をルーツに持つ言葉が多く残っているんですよ。
そして、そのイスラム系の言語で書かれた詩の多くが、1行が11音節になっているんです。
歌詞の長さを見てもおわかりだと思いますが、グアヒーラが中南米の音楽の影響を強く受けているように、シギリージャも、他のフラメンコのカンテとは違うルーツを持っているのではないかと考えられています。
ここまでの説明を読まれて、シギリージャはヒターノがアンダルシアまで運んだのでは?とお考えになった方もいらっしゃるかもしませんね。
でも、アンダルシア地方をイスラム系の王朝が支配していたのは、ヒターノがアンダルシアに着く少し前の15世紀までなので、ヒターノがこの歌詞の形式を運んだわけではなく、15世紀ごろには、すでにこの形式がアンダルシアに定着していたと、今では考えられています。
フラメンコの多くの歌詞が、どれかの曲種専用ではなく、使用する歌詞の長さが同じであれば、曲種同士で使い回しが出来るのですが、前回のグアヒーラのディッシマと、このシギリージャ用の歌詞は、他の曲種と使い回しができない歌詞ということになります。
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