コラム
カンテの基礎知識

 
104回記念 フラメンコってそもそも何なんでしょう?5

2020年3月1日アップ

当コラムも前々々々回で無事100回を迎える事となりました。
 
♪ありがとうございます。どんどんぱふぱふ♪
 
そこで初心に帰って<フラメンコとはなんなのか?>について
もう一度お話ししています。
 
前々々々回のコラムでは、
フラメンコが生まれて形作られるところまでお話ししたと思います。

々々回のコラムでは、カンテがコンクールによってレパートリーが定まった、
というところまでお話ししました。

回のコラムでは、カンテでは複数のメロディに同じ名前がついている、
だから混乱することがあるというお話しをしました。

前回のコラムでは、カンテは激しくアレンジするので、
曲種の分類が混乱することがあるというお話しをしました。

 
前回と前々回のコラムでは、カンテのなぞともいえる、
曲種の分け方がわかりにくい理由についてのお話ししました。
 
曲種を聞き分けるには、メロディを覚えるしかないという、
なんとも苦い?結論になっちゃったのですが、
これが真実で、たったひとつの方法なのですからしかたないですよね。
 
さて、今日はもうひとつの混乱の原因、
カンテホンドについて触れたいと思います。
 
私がカンテを始めたのは今から27年くらい前のこと、
当時、私が”カンテを学んでいます。”というと、
”カンテホンドですよね。”と日本の先輩諸氏によく直されたものです。
 
カンテホンドとは、日本では当時一般的に
<ヒターノの心の奥の叫びを歌にしたもの>のように捉えられていました。
 
でも、私には当時なんだかよく理解できなくて、
<カンテホンドってなんなんでしょう?
<フラメンコのカンテとどう違うの?
そんな疑問を持って、数年後スペインに留学したんです。
 
セビリアのクリスチーナ・ヘーレン財団フラメンコ芸術学院に入学して、
すぐに始まったのがカンテレッスン、ボイトレと並んで、
母校がとっても大事にしているフラメンコ理論講座でした。
 
その講座は、のちに私の人生の師となるナランヒート・デ・トリアーナの娘、
まだ20代だったぺパが受け持っていました。
 
ぺパはフラメンコ理論に精通しているだけではなく、
アメリカに長く留学していたので、スペイン人とは思えないほど
完璧な発音で英語を流暢に操ります。
 
当時まだスペイン語がほとんどできなかった私にとって、
英語で話が出来るものすごーく有難い先生だったんですが、
私があまりに突拍子のない事ばかり聞くので、
最初の頃は結構疎まれていたようです。
 
そんな彼女に思いっきり嫌な顔をされた質問のひとつが、
”フラメンコのカンテとカンテホンドってどう違うの?” でした。
 
”私はフラメンコの専門家だから、他のことはわからないの。”
ってぺパに冷たく突き放されちゃったんですよね。
 
うーん・・・
 
当時、理論のクラスだけ受けに来ていたスエーデン人のおばあちゃまと二人、
この質問をした帰りによったカフェで、
いったい何であんなに機嫌が悪くなったのか?について、
何時間も話しあったのも、今では懐かしい思い出です。
 
結局、ぺパからも、他のカンテの師匠達からも
しっかりとした答えを得ることは出来ませんでした。
 
私も帰国してから同じことを生徒に何度か質問されたんですけど、
”私はフラメンコを専門に勉強して来たんですけど、
カンテホンドについては一切学べませんでした。”
と返すしかなかったんです。
 
でも、その後自分で文献を色々あたったり、
スペインのカンテ師匠の中で唯一のヒターノである
ホセ・デ・ラ・トマサに聞いたり、
カンテ仲間から情報収集をしたりしながら、
現在ではある結論にたどり着いています。
 
今日は今までどこにも発表したことのない、
フラメンコのカンテとカンテホンドの違いを、
ズバッとお話ししたいと思います。
 
まず、フラメンコのカンテですが、
ここ5回ほどのフラメンコとは何なんでしょ?特集でご説明しているように、
ショーとしてお客様に聞いて頂く為のプロ歌手による歌がその起源です。
 
決まっているのはメロディだけで、リズムも歌詞も歌い手が自由に選択でき、
時代の流れによってアレンジも多様に変化しながら、
100年以上も新鮮さを保ち続けている素晴らしい歌なんですよ。
 
では、カンテホンドとはいったい何なんでしょうか?
 
カンテホンドだけを扱った文献もいくつか出ているので、
私も手に入る得る限り購入して読んだのですが、
結論から言うと、<ヒターノ文化のひとつだと思われる歌だけれど、
ヒターノはその存在すらはっきりとは認めてはいない。>となります。
 
ヒターノは自らの文化をずっと昔からかたくなに守ってきました。
 
そして、ヒターノの文化については、
ヒターノ以外の人には、一切話してはいけないのが決まりだそう。
 
歌に関してもそれは同じで、
<カンテホンドと呼ばれる、ヒターノの心の奥底を歌った歌>が
あるのかどうかすら、ヒターノ達は正式には認めていません。
 
ただ、フラメンコのカンテに関しては、
<職業としてヒターノ以外の人前で歌う歌であって、
自分たちの固有の文化とは考えていない>んだそうです。
 
もし、ヒターノ固有の文化なら、
ヒターノ以外の人前で歌ったりすることはありえないとも言っていました。
 
つまり、カンテホンドはその存在すらも私達非ヒターノには計り知れないもの。
 
カンテホンドが好きとか嫌いとか、
フラメンコのカンテと似ているとか違うとか、
そういう事を外部の人間が言うべき問題ではないのです。
 
私はヒターノ達が、彼らの文化を守る姿勢を尊重したいと思っています。
 
ヒターノ達が言いたくないのなら、知ろうとはしないでいようと思います。
 
ネットで私がヒターノを軽視していると、
以前ずいぶん叩かれたことがあるんですけど、実際は逆です。
 
私は彼らの考え方を重んじ、知られたくないことなら、
知ろうとすること自体をやめるべきだと思っているんです。
 
ですので、カンテホンドに関しても、
存在するのかしないのか? どんな歌なのか?
フラメンコのカンテのルーツなのかそうではないのか?
などなどのことを一切考えないことにしています。
 
それが私の考える<ヒターノの文化を尊重する>ことなんです。
 
以上、フラメンコのカンテとカンテホンド違い、
おわかり頂けましたでしょうか?
 
 
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♪ありがとうございます。どんどんぱふぱふ♪
 
そこで初心に帰って<フラメンコとはなんなのか?>についてもう一度お話ししています。
 


 
前々々々回のコラムでは、フラメンコが生まれて形作られるところまでお話ししたと思います。

々々回のコラムでは、カンテがコンクールによってレパートリーが定まった、というところまでお話ししました。

回のコラムでは、カンテでは複数のメロディに同じ名前がついている、だから混乱することがあるというお話しをしました。

前回のコラムでは、カンテは激しくアレンジするので、曲種の分類が混乱することがあるというお話しをしました。

 


 
前回と前々回のコラムでは、カンテのなぞともいえる、曲種の分け方がわかりにくい理由についてのお話ししました。
 
曲種を聞き分けるには、メロディを覚えるしかないという、なんとも苦い?結論になっちゃったのですが、これが真実で、たったひとつの方法なのですからしかたないですよね。
 


 
さて、今日はもうひとつの混乱の原因、カンテホンドについて触れたいと思います。
 


 
私がカンテを始めたのは今から27年くらい前のこと、当時、私が”カンテを学んでいます。”というと、”カンテホンドですよね。”と日本の先輩諸氏によく直されたものです。
 


 
カンテホンドとは、日本では当時一般的に<ヒターノの心の奥の叫びを歌にしたもの>のように捉えられていました。
 


 
でも、私には当時なんだかよく理解できなくて、
<カンテホンドってなんなんでしょう?
<フラメンコのカンテとどう違うの?
そんな疑問を持って、数年後スペインに留学したんです。
 


 
セビリアのクリスチーナ・ヘーレン財団フラメンコ芸術学院に入学して、すぐに始まったのがカンテレッスン、ボイトレと並んで、母校がとっても大事にしているフラメンコ理論講座でした。
 


 
その講座は、のちに私の人生の師となるナランヒート・デ・トリアーナの娘、まだ20代だったぺパが受け持っていました。
 
ぺパはフラメンコ理論に精通しているだけではなく、アメリカに長く留学していたので、スペイン人とは思えないほど完璧な発音で英語を流暢に操ります。
 


 
当時まだスペイン語がほとんどできなかった私にとって、英語で話が出来るものすごーく有難い先生だったんですが、私があまりに突拍子のない事ばかり聞くので、最初の頃は結構疎まれていたようです。
 


 
そんな彼女に思いっきり嫌な顔をされた質問のひとつが、”フラメンコのカンテとカンテホンドってどう違うの?” でした。
 


 
”私はフラメンコの専門家だから、他のことはわからないの。”ってぺパに冷たく突き放されちゃったんですよね。
 
うーん・・・
 


 
当時、理論のクラスだけ受けに来ていたスエーデン人のおばあちゃまと二人、この質問をした帰りによったカフェで、いったい何であんなに機嫌が悪くなったのか?について、何時間も話しあったのも、今では懐かしい思い出です。
 


 
結局、ぺパからも、他のカンテの師匠達からもしっかりとした答えを得ることは出来ませんでした。
 


 
私も帰国してから同じことを生徒に何度か質問されたんですけど、
”私はフラメンコを専門に勉強して来たんですけど、カンテホンドについては一切学べませんでした。”
と返すしかなかったんです。
 


 
でも、その後自分で文献を色々あたったり、スペインのカンテ師匠の中で唯一のヒターノであるホセ・デ・ラ・トマサに聞いたり、カンテ仲間から情報収集をしたりしながら、現在ではある結論にたどり着いています。
 


 
今日は今までどこにも発表したことのない、フラメンコのカンテとカンテホンドの違いを、ズバッとお話ししたいと思います。
 


 
まず、フラメンコのカンテですが、ここ5回ほどのフラメンコとは何なんでしょ?特集でご説明しているように、ショーとしてお客様に聞いて頂く為のプロ歌手による歌がその起源です。
 


 
決まっているのはメロディだけで、リズムも歌詞も歌い手が自由に選択でき、時代の流れによってアレンジも多様に変化しながら、100年以上も新鮮さを保ち続けている素晴らしい歌なんですよ。
 


 
では、カンテホンドとはいったい何なんでしょうか?
 


 
カンテホンドだけを扱った文献もいくつか出ているので、私も手に入る得る限り購入して読んだのですが、結論から言うと、<ヒターノ文化のひとつだと思われる歌だけれど、ヒターノはその存在すらはっきりとは認めてはいない。>となります。
 


 
ヒターノは自らの文化をずっと昔からかたくなに守ってきました。
 
そして、ヒターノの文化については、ヒターノ以外の人には、一切話してはいけないのが決まりだそう。
 


 
歌に関してもそれは同じで、<カンテホンドと呼ばれる、ヒターノの心の奥底を歌った歌>があるのかどうかすら、ヒターノ達は正式には認めていません。
 


 
ただ、フラメンコのカンテに関しては、<職業としてヒターノ以外の人前で歌う歌であって、自分たちの固有の文化とは考えていない>んだそうです。
 


 
もし、ヒターノ固有の文化なら、ヒターノ以外の人前で歌ったりすることはありえないとも言っていました。
 


 
つまり、カンテホンドはその存在すらも私達非ヒターノには計り知れないもの。
 
カンテホンドが好きとか嫌いとか、フラメンコのカンテと似ているとか違うとか、そういう事を外部の人間が言うべき問題ではないのです。
 


 
私はヒターノ達が、彼らの文化を守る姿勢を尊重したいと思っています。
 
ヒターノ達が言いたくないのなら、知ろうとはしないでいようと思います。
 


 
ネットで私がヒターノを軽視していると、以前ずいぶん叩かれたことがあるんですけど、実際は逆です。
 
私は彼らの考え方を重んじ、知られたくないことなら、知ろうとすること自体をやめるべきだと思っているんです。
 


 
ですので、カンテホンドに関しても、存在するのかしないのか? 
どんな歌なのか?
フラメンコのカンテのルーツなのかそうではないのか?
などなどのことを一切考えないことにしています。
 


 
それが私の考える<ヒターノの文化を尊重する>ことなんです。
 
以上、フラメンコのカンテとカンテホンド違い、おわかり頂けましたでしょうか?
 
 
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