コラム
カンテの基礎知識
101回記念 フラメンコってそもそも何なんでしょう?2
当コラムも前回で無事100回を迎える事となりました。
♪ありがとうございます。どんどんぱふぱふ♪
そこで初心に帰って<フラメンコとはなんなのか?>について
もう一度お話ししています。
前回のコラムでは、
フラメンコが生まれて形作られるところまでお話ししたと思います。
1)フラメンコと言う名前が、カンテのコンサートについたこと。
2)カンテコンクールを行う為に曲目を限定する必要があったので、
フラメンコはその後新しく作曲することが基本的に許されていなくて、
レパートリーが増えないということ。
3)レパートリーが増えない代わりに、様々にアレンジを変え、
カバー曲を出し続けていること。とここまでご説明しました。
さて、今回のコラムでご説明したいのが各レパートリーの定義についてです。
フラメンコは譜面のない音楽です。
他のジャンルの歌なら譜面があるのが当たり前で、
その譜面に書いているメロディをそのまま歌えば、
その歌はとりあえずOKということになります。
でも、カンテは譜面もないのに、
コンクールをしながら今の形が出来上がって行ったのですが、
譜面のない音楽をコンクールでどうやって採点したのでしょうか?
実は、最初のコンクールの時の審査委員長は、
あのアントニオ・チャコンがつとめたんです。
カンテを好きな方なら、っていうかフラメンコを好きな方なら、
アントニオ・チャコンはもちろんよーくご存知ですよね。
あれ? もしかしてご存じないんですか???
はい、じゃ今度こちらのコラムに詳しく書きますね。
ま、一言で言うと、
現在のフラメンコはこのチャコンが作ったようなものなんですよ。
AKBグループの秋元さんみたいなもんですね。(ちょっと違うか。)
それで、チャコンが審査委員長をしてちゃんと歌えている人を選んで、
その入賞者をその後もチャコンがしっかり指導して、
正しいカンテを伝えたんです。
そこで選ばれたのが、
マノロ・カラコールやニーニャ・デ・ロス・ペイネスなど。
まだ10代だった受賞者たちをチャコンは丁寧に指導したんだそう。
この時にチャコンが弟子たちに伝えたカンテが、
現在まで伝わっているフラメンコのカンテということになります。
1922年にカンテのコンクールが始まった頃は、
もちろん歌い方も伴奏も当時らしいシンプルなものでした。
それが、コンクールを繰り返すうちにどんどんアレンジされ、
伴奏も変って行ったんですが、
<ここまではやっていいけど、ここから先はダメ>みたいなのが、
つまり、カンテっていったいなんなのかということが、
審査員たちの中でだんだん固まっていったんです。
それが<カンテの正しいメロディとアレンジしてもいい範疇>です。
これって、譜面もなければ明文化されてもいないんですけど、
今日までちゃーんとスペインのフラメンコアーティスト達の間で
伝承されてきました。
ずっと伝承されてきてはいるのですが、
実は、一時伝承が途切れそうになったことがあって、
危機を迎えたことがあります。
(1970~80年代くらいで、カンテ暗黒時代と呼びます。)
その後1980年後半から、アンダルシア政府をはじめ、
多くのフラメンコ関係者の努力でなんとか繋ぎとめたんです。
私の師匠ナランヒート・デ・トリアーナはカンテ文化の継承に尽力した一人で、
その一環として、フラメンコ芸術学院に私も学んだカンテコースを作りました。
そして生徒たちに、正しいメロディとアレンジしてもいい範疇を、
体にしみこませるように指導し、自分の感覚となるまで導いてくれたんです。
正しいメロディとアレンジしてもいい範疇をまもることは、
すなわちカンテの文化を守る事。
師匠亡き今、今度は私たち弟子達が師匠に叩き込んでもらったカンテの文化を
守っていかなくっちゃいけないので、
当時のクラスメイト達はスペインで、
そして私は日本で今日もこうして頑張っているんですよ。
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♪ありがとうございます。どんどんぱふぱふ♪
そこで初心に帰って<フラメンコとはなんなのか?>についてもう一度お話ししています。
前回のコラムでは、フラメンコが生まれて形作られるところまでお話ししたと思います。
1)フラメンコと言う名前が、カンテのコンサートについたこと。
2)カンテコンクールを行う為に曲目を限定する必要があったので、フラメンコはその後新しく作曲することが基本的に許されていなくて、レパートリーが増えないということ。
3)レパートリーが増えない代わりに、様々にアレンジを変え、カバー曲を出し続けていること。
とここまでご説明しました。
さて、今回のコラムでご説明したいのが各レパートリーの定義についてです。
フラメンコは譜面のない音楽です。
他のジャンルの歌なら譜面があるのが当たり前で、その譜面に書いているメロディをそのまま歌えば、その歌はとりあえずOKということになります。
でも、カンテは譜面もないのに、コンクールをしながら今の形が出来上がって行ったのですが、譜面のない音楽をコンクールでどうやって採点したのでしょうか?
実は、最初のコンクールの時の審査委員長は、あのアントニオ・チャコンがつとめたんです。
カンテを好きな方なら、っていうかフラメンコを好きな方なら、アントニオ・チャコンはもちろんよーくご存知ですよね。
あれ? もしかしてご存じないんですか???
はい、じゃ今度こちらのコラムに詳しく書きますね。
ま、一言で言うと、
現在のフラメンコはこのチャコンが作ったようなものなんですよ。
AKBグループの秋元さんみたいなもんですね。(ちょっと違うか。)
それで、チャコンが審査委員長をしてちゃんと歌えている人を選んで、その入賞者をその後もチャコンがしっかり指導して、正しいカンテを伝えたんです。
そこで選ばれたのが、マノロ・カラコールやニーニャ・デ・ロス・ペイネスなど。
まだ10代だった受賞者たちをチャコンは丁寧に指導したんだそう。
この時にチャコンが弟子たちに伝えたカンテが、現在まで伝わっているフラメンコのカンテということになります。
1922年にカンテのコンクールが始まった頃は、もちろん歌い方も伴奏も当時らしいシンプルなものでした。
それが、コンクールを繰り返すうちにどんどんアレンジされ、伴奏も変って行ったんですが、<ここまではやっていいけど、ここから先はダメ>みたいなのが、つまり、カンテっていったいなんなのかということが、審査員たちの中でだんだん固まっていったんです。
それが<カンテの正しいメロディとアレンジしてもいい範疇>です。
これって、譜面もなければ明文化されてもいないんですけど、今日までちゃーんとスペインのフラメンコアーティスト達の間で伝承されてきました。
ずっと伝承されてきてはいるのですが、実は、一時伝承が途切れそうになったことがあって、危機を迎えたことがあります。
(1970~80年代くらいで、カンテ暗黒時代と呼びます。)
その後1980年後半から、アンダルシア政府をはじめ、多くのフラメンコ関係者の努力でなんとか繋ぎとめたんです。
私の師匠ナランヒート・デ・トリアーナはカンテ文化の継承に尽力した一人で、その一環として、フラメンコ芸術学院に私も学んだカンテコースを作りました。
そして生徒たちに、正しいメロディとアレンジしてもいい範疇を、体にしみこませるように指導し、自分の感覚となるまで導いてくれたんです。
正しいメロディとアレンジしてもいい範疇をまもることは、すなわちカンテの文化を守る事。
師匠亡き今、今度は私たち弟子達が師匠に叩き込んでもらったカンテの文化を守っていかなくっちゃいけないので、当時のクラスメイト達はスペインで、そして私は日本で今日もこうして頑張っているんですよ。
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