コラム
カンテの基礎知識

 
フラメンコの基礎知識 
(43)カンテの歴史と流行
<カンテ暗黒の時代の終焉とその後>

2019年7月21日アップ

 
政治がカンテに与えた影響についてお話ししています。
 
前回は、フランコの影響の揺り戻しで、
カンテは暗黒時代を迎えてしまったというお話しをしました。
 
ただ、カンテ暗黒時代は20年間ほどで終わり、
カンテは以前のように多くの曲種が歌われるようになり今日にいたります。
 
今回は、カンテ暗黒時代がどのように終わったか
あたりからお話ししたいと思います。
 
しゃがれ声が全盛となり、
歌われる曲種が少なくなってしまったカンテ暗黒時代が終った理由は
、、、、、実は単純にカンテブーム自体が去ってしまったからなんです。
 
あれほど毎日のようにテレビをにぎわせていたフラメンコ番組が、
大スターが亡くなってしまったことなどを切っ掛けに少しずつ打ち切りになり、
フラメンコ歌手を主役にすえたフラメンコ映画なども、
以前ほどの集客が望めなくなって、
フラメンコはあきらかに人気の演目ではなくなっていきました。
 
その理由のひとつには、
歌われるカンテの曲種が少なく飽きられてしまったことも、
大きかったのではないでしょうか?
 
それでも、生粋のカンテファン達はフラメンコ愛好会(ペーニャ)に集い、
小さな会場でライブを自主開催しては、カンテを楽しみ続けました。
 
同時にアンダルシア政府も、
貴重なアンダルシア発祥の文化・カンテの灯を消すわけにはいかないと、
観光施設である外国人向けのタブラオなどの運営の他に、
地元の人達に向けたカンテコンサートの直接開催や、
ペーニャ主宰のカンテコンクールなどへの金銭的、
及び人的支援を強めて行きます。
 
一時のカンテブームの時のファン達は、
その当時主に歌われていたソレア、シギリージャなどのみを好んだのですが、
古くからの、又、コアなカンテファン達は、
カンテの曲種すべてを出来れば聞きたいと
カンテ暗黒時代も思い続けてきました。
 
ですから、ブームの終焉は、
逆に様々な曲種を聞けるチャンスと感じたのかもしれませんん。
 
ただ、ここで大きな問題が・・・
約20年間ほどのカンテ暗黒時代に、若いフラメンコ歌手の卵たちも、
当時取り上げられていたカンテの曲種のみを聞いていました。
 
若いフラメンコ歌手達は、
その他の多くのカンテの曲種を聞いてこなかったので、
コアなカンテファン達が満足できるほどの様々な曲種を
知っている訳ではありませんでした。
 
たった20年間でしたが、
その20年の暗黒時代はカンテの世界に大きな問題を残しました。
 
それは、もう一度カンテブームを呼ぶためには、
カンテの多くの曲種を観客に披露することが必要なのに、
これからばりばり活躍して行かなければいけない若いフラメンコ歌手達が、
多くの曲種を聞いてこなかった、そして全く歌えない、という現実です。
 
日本の伝統芸能の後継者問題と一緒で、
多くのカンテの曲種を観客に楽しんでもらえるようにする為には、
多くの曲種を歌える歌手を、改めて育てなければならなかったんです。
 
そうこうしている間にも、カンテ人気はどんどんと落ちて行きました。
 
 
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政治がカンテに与えた影響についてお話ししています。
 
前回は、フランコの影響の揺り戻しで、カンテは暗黒時代を迎えてしまったというお話しをしました。
 


 
ただ、カンテ暗黒時代は20年間ほどで終わり、カンテは以前のように多くの曲種が歌われるようになり今日にいたります。
 


 
今回は、カンテ暗黒時代がどのように終わったかあたりからお話ししたいと思います。
 
しゃがれ声が全盛となり、歌われる曲種が少なくなってしまったカンテ暗黒時代が終った理由は、、、、、実は単純にカンテブーム自体が去ってしまったからなんです。
 


 
あれほど毎日のようにテレビをにぎわせていたフラメンコ番組が、大スターが亡くなってしまったことなどを切っ掛けに少しずつ打ち切りになり、フラメンコ歌手を主役にすえたフラメンコ映画なども、以前ほどの集客が望めなくなって、フラメンコはあきらかに人気の演目ではなくなっていきました。
 


 
その理由のひとつには、歌われるカンテの曲種が少なく飽きられてしまったことも、大きかったのではないでしょうか?
 


 
それでも、生粋のカンテファン達はフラメンコ愛好会(ペーニャ)に集い、小さな会場でライブを自主開催しては、カンテを楽しみ続けました。
 


 
同時にアンダルシア政府も、貴重なアンダルシア発祥の文化・カンテの灯を消すわけにはいかないと、観光施設である外国人向けのタブラオなどの運営の他に、地元の人達に向けたカンテコンサートの直接開催や、ペーニャ主宰のカンテコンクールなどへの金銭的、及び人的支援を強めて行きます。
 


 
一時のカンテブームの時のファン達は、その当時主に歌われていたソレア、シギリージャなどのみを好んだのですが、古くからの、又、コアなカンテファン達は、カンテの曲種すべてを出来れば聞きたいと、カンテ暗黒時代も思い続けてきました。
 


 
ですから、ブームの終焉は、逆に様々な曲種を聞けるチャンスと感じたのかもしれませんん。
 


 
ただ、ここで大きな問題が・・・
 
約20年間ほどのカンテ暗黒時代に、若いフラメンコ歌手の卵たちも、当時取り上げられていたカンテの曲種のみを聞いていました。
 


 
若いフラメンコ歌手達は、その他の多くのカンテの曲種を聞いてこなかったので、コアなカンテファン達が満足できるほどの様々な曲種を知っている訳ではありませんでした。
 


 
たった20年間でしたが、その20年の暗黒時代はカンテの世界に大きな問題を残しました。
 
それは、もう一度カンテブームを呼ぶためには、カンテの多くの曲種を観客に披露することが必要なのに、これからばりばり活躍して行かなければいけない若いフラメンコ歌手達が、多くの曲種を聞いてこなかった、そして全く歌えない、という現実です。
 


 
日本の伝統芸能の後継者問題と一緒で、多くのカンテの曲種を観客に楽しんでもらえるようにする為には、多くの曲種を歌える歌手を、改めて育てなければならなかったんです。
 
そうこうしている間にも、カンテ人気はどんどんと落ちて行きました。
 
 
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