コラム
カンテの基礎知識

 
フラメンコの基礎知識 
(42)カンテの歴史と流行
<フランコが好きだったフラメンコ歌手のその後>

2019年7月14日アップ

 
政治がカンテに与えた影響についてお話ししています。
 
フランコに愛されたフラメンコ歌手達が、
フラメンコの歴史から消されてしまった、
というお話しまで前回したと思います。
 
フランコに愛された歌手を国民みんなが嫌うのは、、、
まあしかたないことですよね。
 
でも、フランコに愛された歌手達も、
たまたまそういう容姿でそういう声だっただけで、

フランコに媚びたわけでもないし、
フランコの事が好きだった訳でもなかったと思います。
 
それなのに、フランコがいなくなった後、
フラメンコ歌手としての地位も仕事もみんな失ってしまって、
それまでの贅沢な暮らしとは真逆のかなり厳しい生活を強いられ、
非業の最期をとげた歌手を題材にした映画が作られているほど。
 
フランコが去ってもう40年以上が経っているのですが、
実は、当時フランコに愛されたフラメンコ歌手達は、
いまだに完全に表舞台に戻ったとはいえないんですよね。
 
では、とりあえずお話しを当時に戻して・・・
 
日本人がスペインに観光で誰でも入国できるようになったころ
(1980年くらい)、もうフランコはいませんでしたから、
フランコに愛されたフラメンコ歌手達も、すでに活躍してはいませんでした。
 
逆にフランコに嫌われていた歌手達が、この時期大いに活躍していたので、
日本からスペインに渡った人たちは、
これこそがカンテだ、フラメンコだと思ったことでしょう。
 
フランコに抑圧されていた民衆の声を代弁し、
フランコ下の苦しい時代のこと、そして自由を求めた切なる願い、
やっと自由に好きな歌詞で歌えることを謳歌していた時代なんですから。
 
そのエネルギーはとてつもなく大きく、
スペインをはじめて訪れた外国人観光客を、
世界遺産の大聖堂と共に大いに魅了したに違いありません。
 
世界中の歌手が政治を歌った時代。
アメリカでもボブ・デイランが歌い、ジャニス・ジョップリンが歌ったように
スペインでも、多くのフラメンコ歌手が自由を歌い上げました。
 
そして、しゃがれ声がカンテの代表となっていったんです。
 
カンテに詳しい方はご存じだと思いますが、
スペインには現在綺麗な声のカンテさんも沢山います。
っていうか、綺麗な声のカンテさんの方が圧倒的に多いんです。
 
フランコ亡き後、一時しゃがれ声が全盛だったんですが、
しゃがれ声ブームはそんなに長い期間続いた訳ではなく、
私が留学した1998年には、すでに綺麗な声のカンテが主流に戻っていました。
 
つまり、しゃがれ声のブームは20年も続かなかったということのようです。
 
私が通っていたフラメンコ芸術学院のフラメンコの歴史の授業では、
このしゃがれ声ブームの20年間をカンテ暗黒の時代と呼んでいました。
 
その理由は、しゃがれ声では歌いこなせないカンテの曲種は、
その時代全く歌われることがなくなり、カンテの曲種数が減ってしまって、
コンサートはいつも同じレパートリーばかりになってしまっていたから。
 
しゃがれ声に似合うカンテといえば、シギリージャがその代表ですが、
グラナイーナやマラゲーニャ、ビダリータなどは綺麗な声でないと
その良さが伝わりません。
 
フラメンコのカンテは、もともとひとつのジャンルとしては、
珍しいほどレパートリーが少ない歌です。
 
その少ないレパートリーの半分以上の曲種が歌われなくなってしまった時代。
だから、カンテ暗黒の時代と呼ばれてしまったんですね。
 
 
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政治がカンテに与えた影響についてお話ししています。
 
フランコに愛されたフラメンコ歌手達が、フラメンコの歴史から消されてしまった、というお話しまで前回したと思います。
 


 
フランコに愛された歌手を国民みんなが嫌うのは、、、まあしかたないことですよね。
 
でも、フランコに愛された歌手達も、たまたまそういう容姿でそういう声だっただけで、フランコに媚びたわけでもないし、フランコの事が好きだった訳でもなかったと思います。
 


 
それなのに、フランコがいなくなった後、フラメンコ歌手としての地位も仕事もみんな失ってしまって、それまでの贅沢な暮らしとは真逆のかなり厳しい生活を強いられ、非業の最期をとげた歌手を題材にした映画が作られているほど。
 


 
フランコが去ってもう40年以上が経っているのですが、実は、当時フランコに愛されたフラメンコ歌手達は、いまだに完全に表舞台に戻ったとはいえないんですよね。
 


 
では、とりあえずお話しを当時に戻して・・・
 
日本人がスペインに観光で誰でも入国できるようになったころ(1980年くらい)、もうフランコはいませんでしたから、フランコに愛されたフラメンコ歌手達も、すでに活躍してはいませんでした。
 


 
逆にフランコに嫌われていた歌手達が、この時期大いに活躍していたので、日本からスペインに渡った人たちは、これこそがカンテだ、フラメンコだと思ったことでしょう。
 


 
フランコに抑圧されていた民衆の声を代弁し、フランコ下の苦しい時代のこと、そして自由を求めた切なる願い、やっと自由に好きな歌詞で歌えることを謳歌していた時代なんですから。
 


 
そのエネルギーはとてつもなく大きく、スペインをはじめて訪れた外国人観光客を、世界遺産の大聖堂と共に大いに魅了したに違いありません。
 


 
世界中の歌手が政治を歌った時代。
アメリカでもボブ・デイランが歌い、ジャニス・ジョップリンが歌ったようにスペインでも、多くのフラメンコ歌手が自由を歌い上げました。
 
そして、しゃがれ声がカンテの代表となっていったんです。
 


 
カンテに詳しい方はご存じだと思いますが、スペインには現在綺麗な声のカンテさんも沢山います。っていうか、綺麗な声のカンテさんの方が圧倒的に多いんです。
 


 
フランコ亡き後、一時しゃがれ声が全盛だったんですが、しゃがれ声ブームはそんなに長い期間続いた訳ではなく、私が留学した1998年には、すでに綺麗な声のカンテが主流に戻っていました。
 


 
つまり、しゃがれ声のブームは20年も続かなかったということのようです。
 
私が通っていたフラメンコ芸術学院のフラメンコの歴史の授業では、このしゃがれ声ブームの20年間をカンテ暗黒の時代と呼んでいました。
 


 
その理由は、しゃがれ声では歌いこなせないカンテの曲種は、その時代全く歌われることがなくなり、カンテの曲種数が減ってしまって、コンサートはいつも同じレパートリーばかりになってしまっていたから。
 


 
しゃがれ声に似合うカンテといえば、シギリージャがその代表ですが、グラナイーナやマラゲーニャ、ビダリータなどは綺麗な声でないとその良さが伝わりません。
 


 
フラメンコのカンテは、もともとひとつのジャンルとしては、珍しいほどレパートリーが少ない歌です。
 
その少ないレパートリーの半分以上の曲種が歌われなくなってしまった時代。だから、カンテ暗黒の時代と呼ばれてしまったんですね。
 
 
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