コラム
カンテの基礎知識

 
フラメンコの基礎知識 
(38)カンテの歴史と流行 <カンテって男性が歌うもの?>

2019年6月9日アップ

 
カンテの歴史のお話しも4回目、
今日はフラメンコ歌手って男性に限るのか?について、
お話ししたいと思います。
 
最近はさすがにカンテは男性しか歌わない、っと思っている方は、
日本でもいらっしゃらないとは思うんですけど、
私が教室を開けたばかりの頃は、男性しかフラメンコ歌手にはなれないはず、
と思っている方も結構多かったんです。
 
特に、踊りバックの場合、メインのカンテさんはあくまでも男性で、
女性はサブでしか入れないと思われていたようです。
(今から15年以上も前の話しです。)
 
今では、スペインから来る舞踊団にも、
女性のフラメンコ歌手がメインの場合も多く、
特に男女の差を感じることは少ないと思います。
 
でも、実はカンテ創成期(のちょっと前)までは、
女性の歌手の方が多かったですよ。
 
伴奏楽器の所でもご紹介したように
古くから続くライブハウスや老舗ペーニャには、
当時の人気歌手の肖像画が今でも飾られています。
そんな肖像画の多くが女性歌手を描いたもの。
 
つまり当時(19世紀中盤)は女性歌手の方が多く活躍していたようなんです。
ところが、カンテが現在の形で始まったと考えられる19世紀末から20世紀頭、
カンテを歌っていたのはほぼ男性だけだと思われます。
 
当時、女性の歌手も一緒の舞台にたってはいたものの、
男性歌手がソレアやシギリージャを歌う中、
女性歌手達はタンゴや軽いポップスなどを専門に歌っていたようで、
本格的なカンテは男性歌手のものという意識があったようです。
(実は、肖像画に残っているそれ以前の女性歌手達も、
どうやら軽い歌しか歌ってなかったようなんですよね。)
 
その後、1920年代になって、カンテコンクールが開催されるようになり、
ニーニャ・デ・ロス・ペイネスが、
女性としてははじめて大きな賞を受賞します。
 
ニーニャ・デ・ロス・ぺイネスは、兄もフラメンコ歌手だったこともあって、
小さい頃から本格的にカンテを学び、その後も兄の支えで勉強を続けたので、
コンクールでもよい成績を残せるようになり、
本格的なフラメンコ歌手になった最初の女性とも言われています。
 
ニーニャ・デ・ロス・ぺイネスの成功も手伝って、
その後は女性の歌手も少しずつふえ、
カンテがテレビで大成功をおさめた1950年代には、
美人フラメンコ歌手が数多く活躍するようになりました。
 
代表的な美人歌手と言えば、ニーニャ・デ・ラ・プエブラ、
ペルラ・デ・カディス、ペルラ・デ・トリアーナなどなど。
アンダルシアの各地で、女性歌手が大活躍する時代になります。
 
現代では、みなさんもご存じのとおり、多くの女性歌手が活躍しており、
男性が歌う曲種、女性が歌う曲種と言う概念も、ほぼ存在しなくなりました。
 
ところで、踊りのバックのフラメンコ歌手に、
どうして男性が多いかご存知ですか?
 
以前、カンテ初のプロモーションビデオのお話しのところで
マノロ・カラコールを取り上げたんですが、
彼のプロモーションビデオには、美しい女性の踊り手が登場しています。
 
実はこの女性の踊り手は、マノロ・カラコールの歌う歌詞に出てくる
恋人役を演じているんです。
 
このように、踊り手と歌い手は、基本的に恋人同士と言う設定が多く、
女性の踊り手が多い舞台では、歌い手は男性が多くなります。
 
最近では男性舞踊家も増え、イケメンを集めた男性舞踊団も出来たりと、
男性踊り手を中心に据えた公演も多くなりました。
(女性ファンを多く集めていて、まるでスペインのエグザイルです。)
 
男性が踊るので、必然的に女性の歌い手が踊りバックを務めることも増え、
踊りバック=男性歌手と言うイメージも、変わってきていると思います。
 
日本では、残念ながらまだまだ男性の踊り手も少なく、
男性の踊り手中心の公演も珍しいのですが、
女性の踊り手には男性歌手、男性の踊り手には女性歌手
という考えはあまり浸透していないので、
女性の踊り手のバックに女性フラメンコ歌手がつくことも多いようですね。
 
日本でもイケメンを集めたフラメンコ舞踊団とか出来ないでしょうか?
そうなったら、フラメンコ人気は再度大爆発すると思うんですけどねー♪
 
 
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カンテの歴史のお話しも4回目、今日はフラメンコ歌手って男性に限るのか?について、お話ししたいと思います。
 


 
最近はさすがにカンテは男性しか歌わない、っと思っている方は、日本でもいらっしゃらないとは思うんですけど、私が教室を開けたばかりの頃は、男性しかフラメンコ歌手にはなれないはず、と思っている方も結構多かったんです。
 


 
特に、踊りバックの場合、メインのカンテさんはあくまでも男性で、女性はサブでしか入れないと思われていたようです。(今から15年以上も前の話しです。)
 


 
今では、スペインから来る舞踊団にも、女性のフラメンコ歌手がメインの場合も多く、特に男女の差を感じることは少ないと思います。
 


 
でも、実はカンテ創成期(のちょっと前)までは、女性の歌手の方が多かったですよ。
 
伴奏楽器の所でもご紹介したように古くから続くライブハウスや老舗ペーニャには、当時の人気歌手の肖像画が今でも飾られています。そんな肖像画の多くが女性歌手を描いたもの。
 


 
つまり当時(19世紀中盤)は女性歌手の方が多く活躍していたようなんです。
 
ところが、カンテが現在の形で始まったと考えられる19世紀末から20世紀頭、カンテを歌っていたのはほぼ男性だけだと思われます。
 


 
当時、女性の歌手も一緒の舞台にたってはいたものの、男性歌手がソレアやシギリージャを歌う中、女性歌手達はタンゴや軽いポップスなどを専門に歌っていたようで、本格的なカンテは男性歌手のものという意識があったようです。
(実は、肖像画に残っているそれ以前の女性歌手達も、どうやら軽い歌しか歌ってなかったようなんですよね。)
 


 
その後、1920年代になって、カンテコンクールが開催されるようになり、ニーニャ・デ・ロス・ペイネスが、女性としてははじめて大きな賞を受賞します。
 


 
ニーニャ・デ・ロス・ぺイネスは、兄もフラメンコ歌手だったこともあって、小さい頃から本格的にカンテを学び、その後も兄の支えで勉強を続けたので、コンクールでもよい成績を残せるようになり、本格的なフラメンコ歌手になった最初の女性とも言われています。
 


 
ニーニャ・デ・ロス・ぺイネスの成功も手伝って、その後は女性の歌手も少しずつふえ、カンテがテレビで大成功をおさめた1950年代には、美人フラメンコ歌手が数多く活躍するようになりました。
 


 
代表的な美人歌手と言えば、ニーニャ・デ・ラ・プエブラ、ペルラ・デ・カディス、ペルラ・デ・トリアーナなどなど。アンダルシアの各地で、女性歌手が大活躍する時代になります。
 


 
現代では、みなさんもご存じのとおり、多くの女性歌手が活躍しており、男性が歌う曲種、女性が歌う曲種と言う概念も、ほぼ存在しなくなりました。
 


 
ところで、踊りのバックのフラメンコ歌手に、どうして男性が多いかご存知ですか?
 


 
以前、カンテ初のプロモーションビデオのお話しのところでマノロ・カラコールを取り上げたんですが、彼のプロモーションビデオには、美しい女性の踊り手が登場しています。
 


 
実はこの女性の踊り手は、マノロ・カラコールの歌う歌詞に出てくる恋人役を演じているんです。
 
このように、踊り手と歌い手は、基本的に恋人同士と言う設定が多く、女性の踊り手が多い舞台では、歌い手は男性が多くなります。
 


 
最近では男性舞踊家も増え、イケメンを集めた男性舞踊団も出来たりと、男性踊り手を中心に据えた公演も多くなりました。(女性ファンを多く集めていて、まるでスペインのエグザイルです。)
 


 
男性が踊るので、必然的に女性の歌い手が踊りバックを務めることも増え、踊りバック=男性歌手と言うイメージも、変わってきていると思います。
 


 
日本では、残念ながらまだまだ男性の踊り手も少なく、男性の踊り手中心の公演も珍しいのですが、女性の踊り手には男性歌手、男性の踊り手には女性歌手という考えはあまり浸透していないので、女性の踊り手のバックに女性フラメンコ歌手がつくことも多いようですね。
 


 
日本でもイケメンを集めたフラメンコ舞踊団とか出来ないでしょうか?
 
そうなったら、フラメンコ人気は再度大爆発すると思うんですけどねー♪
 
 
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