コラム
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(18)フラメンコとキリスト教
<ヒターノがアンダルシアに住み着いたのは?>
前回のコラムで、ヒターノがアンダルシアにやってきた15世紀前半には、
すでにヒターノ達はキリスト教を信じていたということろまで、
お話ししたと思います。
今日はその続きに進みましょう。
当時のアンダルシアには、
イスラム教の王国がグラナダを首都としてあったんですが、
はるばるやってきたヒターノ達以外にも、
実はもともと多くのキリスト教徒が住んでいたんです。
、、、
15世紀末(1492年)にイザベラカトリカ女王のもと、
スペイン全土が完全にキリスト教の国になるまで、
アンダルシア地方はさまざまな宗教の人達に支配されては、
他の宗教に滅ぼされるを繰り返していました。
キリスト教支配の地域と、イスラム支配の地域が
同時に混在している時代もあって、なかなか落ち着かなかったんです。
そんな中にあって、
直接イザベラカトリカに滅ぼされた最後のイスラム教の王国は、
約3世紀近くもの間アンダルシアを平和に統治し続けていました。
この最後のイスラム教の王国時代に、
ヒターノはアンダルシアに到達したのですが、
アンダルシアは、それまで旅を続けていた他のヨーロッパの地域とは
大きく違っていたんです。
というのも、統治していたのはイスラム教の王国なんですけど、
キリスト教徒達も特に投獄されたりすることなく、
一緒に普通に生活していたから。
それまでの王国は、キリスト教でもイスラム教でも、
その土地を統治し国を建てる時に、異教徒は皆殺しにするのが慣例でした。
でも、この最後のイスラム王朝は、キリスト教徒を殺すことなく、
役人にしない、教育を与えない、などのいくつかの制限を設けるだけで
普通に生活させました。
このように、イスラム教徒とキリスト教徒が共存することにより、
大きな混乱もなく、長きにわたってイスラム教の国が栄えたのです。
そんな中、キリスト教徒であるヒターノ達も、
ひどく弾圧されることなくアンダルシアに住み着くことが出来ました。
(ヨーロッパの他のキリスト教国では、
ヒターノは投獄やもっと重い処罰の対象でした。)
つまり、ヒターノ達は、ヨーロッパで唯一、命の心配なしにすめる場所、
アンダルシアに安住の地を見出したことになります。
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前回のコラムで、ヒターノがアンダルシアにやってきた15世紀前半には、すでにヒターノ達はキリスト教を信じていたということろまで、お話ししたと思います。
今日はその続きに進みましょう。
当時のアンダルシアには、イスラム教の王国がグラナダを首都としてあったんですが、はるばるやってきたヒターノ達以外にも、実はもともと多くのキリスト教徒が住んでいたんです。
、、、
15世紀末(1492年)にイザベラカトリカ女王のもと、スペイン全土が完全にキリスト教の国になるまで、アンダルシア地方はさまざまな宗教の人達に支配されては、他の宗教に滅ぼされるを繰り返していました。
キリスト教支配の地域と、イスラム支配の地域が同時に混在している時代もあって、なかなか落ち着かなかったんです。
そんな中にあって、直接イザベラカトリカに滅ぼされた最後のイスラム教の王国は、約3世紀近くもの間アンダルシアを平和に統治し続けていました。
この最後のイスラム教の王国時代に、ヒターノはアンダルシアに到達したのですが、アンダルシアは、それまで旅を続けていた他のヨーロッパの地域とは大きく違っていたんです。
というのも、統治していたのはイスラム教の王国なんですけど、キリスト教徒達も特に投獄されたりすることなく、一緒に普通に生活していたから。
それまでの王国は、キリスト教でもイスラム教でも、その土地を統治し国を建てる時に、異教徒は皆殺しにするのが慣例でした。
でも、この最後のイスラム王朝は、キリスト教徒を殺すことなく、役人にしない、教育を与えない、などのいくつかの制限を設けるだけで普通に生活させました。
このように、イスラム教徒とキリスト教徒が共存することにより、大きな混乱もなく、長きにわたってイスラム教の国が栄えたのです。
そんな中、キリスト教徒であるヒターノ達も、ひどく弾圧されることなくアンダルシアに住み着くことが出来ました。
(ヨーロッパの他のキリスト教国では、ヒターノは投獄やもっと重い処罰の対象でした。)
つまり、ヒターノ達は、ヨーロッパで唯一、命の心配なしにすめる場所、アンダルシアに安住の地を見出したことになります。
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