コラム
カンテの基礎知識

 
フラメンコの基礎知識 
(13)カンテとバイレの関係 <バイレの歴史2>

2018年11月25日アップ

 
前回のコラムでは、現在フラメンコのバイレと呼ばれているものの
ルーツをご紹介しました。
 
では、実際に現在のようなフラメンコのバイレが踊られるようになったのは
いつごろのことなのでしょうか?
 
20世紀初頭、カンテの流行とともに、
当時カフェ・カンタンテと呼ばれた今でいうライブハウスでは、
カンテのコンサートが頻繁に行われていました。
 
しかし、カンテを踊る習慣はまだなく、
踊りは前回お話ししたように民謡やクラシック音楽に対して踊られ、
フラメンコのバイレと言う物はまだ存在しませんでした。
 
では、どういうきっかけで
バイレさんがカンテを踊るようになったのでしょう?
 
実は、それには、今でいうフラメンコのプロモーションビデオが
大きくかかわったと言われています。
 
20世紀初頭に生まれたカンテは、
その後、紆余曲折はありながらも多くのファンに愛されるようになります。
 
特にアンダルシア地方の農村部での人気が高まったのですが、
まだテレビの普及していないこの時代、
カンテを楽しむのはラジオかレコードが中心で、
実際のフラメンコ歌手の歌う姿を見られるのは、
ごくまれに行われるコンサートツアーのみだったんです。
 
それで、当時農村部の習慣としてあった巡回映画上映会の中で、
カンテの映像(プロモーションビデオのようなもの)も
流されるようになりました。
 
普通の映画と映画の間に、
人気のフラメンコ歌手の映像が数曲流されるのですが、
当時は今よりも男性歌手が多く、
ただ座って歌っている所を映像にしたものが流されるばかり。
 
つまり、言葉を選ばずに言えば、
おじさん二人が椅子に座っている映像を永遠見せられる訳で。
もちろん、生のカンテならそれで十分なんですけれど、
映像ではちょっと寂しいので、美しい女性に横で軽く踊って貰って、
銀幕に花を添えるようになったと言われています。
 
という訳で、当初はカンテの歌の歌詞に合わせて、
あて振りのように、又は歌詞に登場する恋人のように、
美しい女性が踊ることが中心で、
まだ女性の踊り手が靴音を鳴らす習慣はありませんでした。
 
一方男性の踊り手は、
この時代はまだ靴音を巧みに鳴らすことがメインで、
クラシック音楽などに合わせてリズミカルに踊ることはあっても、
カンテに合わせて踊る事、つまりフラメンコを踊ることはなかったんです。
 
そんな中、革命的にバイレを変えたのが、
アメリカ映画界でも大スターだったカルメン・アマヤと言われています。
 
彼女は女性でありながら巧みに靴音をたて、
そのスピードや力強さは男性舞踊家をしのぐほど。
 
女性でもカンテに合わせて歌振りを踊るだけにとどまらず、
カンテの間奏の部分で靴音を披露したんです。
 
こうして1人の踊り手が、歌振りも靴音も両方踊るようなって、
現在のバイレの形が出来上がったのは1940~50年の事。
実は、バイレが現在の形になってからまだ80年も経ってはいないんですよ。
 
カルメン・アマヤの登場により生まれた現在の形のバイレ。
その後、男性の踊り手も歌振りも踊るようになり、
踊りでの男女の違いはなくなりました。
 
20世紀前半まで女性と男性が全く違う踊りを踊っていたなんて、
今では考えられないことですね。
  
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前回のコラムでは、現在フラメンコのバイレと呼ばれているもののルーツをご紹介しました。
では、実際に現在のようなフラメンコのバイレが踊られるようになったのはいつごろのことなのでしょうか?
 


 
20世紀初頭、カンテの流行とともに、当時カフェ・カンタンテと呼ばれた今でいうライブハウスでは、カンテのコンサートが頻繁に行われていました。
 


 
しかし、カンテを踊る習慣はまだなく、踊りは前回お話ししたように民謡やクラシック音楽に対して踊られ、フラメンコのバイレと言う物はまだ存在しませんでした。
 


 
では、どういうきっかけでバイレさんがカンテを踊るようになったのでしょう?
 
実は、それには、今でいうフラメンコのプロモーションビデオが大きくかかわったと言われています。
 


 
20世紀初頭に生まれたカンテは、その後、紆余曲折はありながらも多くのファンに愛されるようになります。
 


 
特にアンダルシア地方の農村部での人気が高まったのですが、まだテレビの普及していないこの時代、カンテを楽しむのはラジオかレコードが中心で、実際のフラメンコ歌手の歌う姿を見られるのは、ごくまれに行われるコンサートツアーのみだったんです。
 


 
それで、当時農村部の習慣としてあった巡回映画上映会の中で、カンテの映像(プロモーションビデオのようなもの)も流されるようになりました。
 


 
普通の映画と映画の間に、人気のフラメンコ歌手の映像が数曲流されるのですが、当時は今よりも男性歌手が多く、ただ座って歌っている所を映像にしたものが流されるばかり。
 


 
つまり、言葉を選ばずに言えば、おじさん二人が椅子に座っている映像を永遠見せられる訳で。
もちろん、生のカンテならそれで十分なんですけれど、映像ではちょっと寂しいので、美しい女性に横で軽く踊って貰って、銀幕に花を添えるようになったと言われています。
 


 
という訳で、当初はカンテの歌の歌詞に合わせて、あて振りのように、又は歌詞に登場する恋人のように、美しい女性が踊ることが中心で、まだ女性の踊り手が靴音を鳴らす習慣はありませんでした。
 


 
一方男性の踊り手は、この時代はまだ靴音を巧みに鳴らすことがメインで、クラシック音楽などに合わせてリズミカルに踊ることはあっても、カンテに合わせて踊る事、つまりフラメンコを踊ることはなかったんです。
 


 
そんな中、革命的にバイレを変えたのが、アメリカ映画界でも大スターだったカルメン・アマヤと言われています。
 


 
彼女は女性でありながら巧みに靴音をたて、そのスピードや力強さは男性舞踊家をしのぐほど。
女性でもカンテに合わせて歌振りを踊るだけにとどまらず、カンテの間奏の部分で靴音を披露したんです。
 


 
こうして1人の踊り手が、歌振りも靴音も両方踊るようなって、現在のバイレの形が出来上がったのは1940~50年の事。
実は、バイレが現在の形になってからまだ80年も経ってはいないんですよ。
 


 
カルメン・アマヤの登場により生まれた現在の形のバイレ。
その後、男性の踊り手も歌振りも踊るようになり、踊りでの男女の違いはなくなりました。
 


 
20世紀前半まで女性と男性が全く違う踊りを踊っていたなんて、今では考えられないことですね。
  
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